落とし穴 3

「何度かノックしたんだけど、返事がなかったから勝手に入らせてもらったよ。ゴメンね」
入口に立つ蓮は、常よりも幾分か低いトーンで抑揚がない声音。


穏やかではあるものの、キョーコにとっては地獄からの使者に等しく。同時に今一番会いたくない人物だった。

「いいいえ!こちらこそ気付きませんでスイマセンでした!」

慌ててクルリとターンし直角に近い角度でお辞儀をし非礼を詫びる。
すると耳に飛び込んでくる無機質な音。
カチャリ。

「あ、あの・・・今から帰るところなので、鍵を閉められると出られないのですが・・・」
「・・・顔、上げたら?」

帰すつもりはない、と、キョーコにはそう聞こえた。ギュッと両手で持ったバッグのハンドルを強く握ると、汗をかいているのが分かる。
キョーコはゆっくりと姿勢を正し蓮に向き直ると、胸が焼き切れるんじゃないかと思う程苦しくなった。
ドアに寄りかかり、腕を組み、真っ直ぐにキョーコを見据える瞳は暗く底が見えない。
恐ろしく整った顔立ちにさらりとした黒髪が目元を隠し、表情の読み取りを困難にしている。
存在に、圧倒される。

―――息が、出来ない―――

「この間、会ったよね。あれは何かのロケだったのかな?」

蓮の声は静かに、体に沁み入り、そして心がざわめく。

(あ・・・あの時の事を怒ってるんだ。何の説明もしなかったから・・・!)

「は、はい!撮影中だったのでろくにご挨拶も出来なくて・・・本来ならご説明に伺わなければと思っていたんですが・・・」
「そう・・・あんな恰好をして、楽しそうに食事をして?」

一歩、蓮が近づく。
二歩、キョーコは下がる。
また一歩。
さらに二歩。

トスン。
背中に固く冷たい感触を覚え、キョーコは壁際に追い詰められたことを察する。
計ったかのように、蓮の歩数はキョーコを閉じ込めるのに十分な距離まで進んでいた。
そのままの緩慢な動作で、両腕を壁につけ檻を作れば、綺麗な顔をキョーコの耳元に寄せる。

「あいつが・・・好きなのか・・・?」

あまりの台詞に頭が追い付かず、目を見開いたキョーコは状況整理に追われる。
蓮の言う『あいつ』とは、恐らくというか確実に児島のことで。その児島をキョーコが好きだと。
なんて酷い誤解。
呼吸の仕方を忘れそうになりながらキョーコは必死に否定の言葉を紡ぐ。

「ちがっ・・・違います!!あれはああいう指令があって・・・」

ピクリ、と蓮の肩が揺れる。顔は未だに肩口にあり伺うことは出来ない。

「・・・君の、あの時の表情が本当に演技だというなら大したものだ」

キョーコは震える。これ以上はダメだと。

「これでも、職業柄人の感情の機微には敏感でね」

ゆっくりと顔を近づけ、ヒタと見据える蓮の瞳は獲物を捉えて離さない光を湛えていた。

「アイツでないというなら・・・誰を想ってた?」

誰を想っていたかなんて思い出すまでもない。
キョーコは足元に穴が空いたようにどこまでも落下していく感覚に陥る。
瞬きも出来ず、ただ、首を振ることしか出来なかった。
自分の体だというのに、それ以外は許されていないように。

「あんなに嬉しそうな顔をして・・・俺には言えない相手?」

蓮の視線から逃れるために俯き、やはり首を振る。
壁につけられた手のひらが、痛々しい程握られるのが気配で分かる。
もうダメだと思った。
その矢先。

コンコン

「おーい最上さんいるかーい?今度のスタジオ撮りについて会議室で話したいんだけど」

今回の依頼主、椹だった。

「あ・・・」

出なくては、不審に思われてしまう。ましてやこの状況を見られでもしたらどんな誤解を招くか分かったものではない。鍵をかけているのですぐにバレることはないにしても、蓮の足枷になってしまうのだけは避けたかった。
すると、ふっと圧し掛かっていた重圧が和らいだ。

「敦賀さん・・・」

腕による囲いが解かれ、キョーコは自由になっていた。
蓮は後ろを向き、全ての感情を拒絶しているように俯いている。

ペコリ、とお辞儀をしキョーコはその場を離れる。

「・・・はーいお待たせしましたー!レディの着替えの時間にいらっしゃるなんて・・・狙ってました?」
「おいおい、妻と子供がいるのにそんな危険な発言やめてくれよ」

軽口を叩きながら気付かれないように鍵を開け、扉の開閉角度をなるべく狭くしてスルリと抜け出す。これで中の様子はほとんど見えないはずだ。
我ながら上手く切り替えられたと思う。

そして、涙も出なかったことに絶望した。
やはり大切なものが欠落しているんだと。
歩きながら、見えているのは別のモノ。






あぁ、だからお願いです。
これ以上、貴方を好きにさせないで。






取り残された蓮は、握りすぎて白くなり、血の滲む手のひらをそっと舐める。
「逃げるなら逃げればいい。でないと・・・君に何をするか分からないよ?」


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